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恋愛から結婚へ
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恋愛
恋愛とは
友情と恋愛
どこがどんなふうに好きなのか、はっきりとはいえない。しかし、好きで好きでたまらないこんな気持。それが恋をしている人の気持でしよう。堀秀彦氏は、友情と恋愛を区別して、「友情は〃好き\"の理由が割合にはっきりしている。理性で、その理由がはっきり認められる。私はあの人のああいうところが好きなのだ、というように。人間としての値うちをはっきり知り、これを尊敬し、これに信頼をおくという愛情なのです。恋愛は好きになった理由や条件は、とても一口にはいえない。理性や遅屈では割り切れない、ややこしい感情、これが好きだ、恋しいという気持です。(文部省\"性と純潔\"より)と言います。友情は、人間関係の中で最も積極的な関係で、お互いが同等の立場に立って、個性をはっきりと認め合うものです。ところが、恋愛は、一言でいうならば、性に根ざした人間愛です。お互いは、むしろ支配と被支配の関係に立ち、相手にひざまずいて、その心を得ようという、魂と肉を呼び合うものだといわれます。私たちは、成長とともに、自分に欠けたものを意識し、欠けたものをもっている異性にひかれます。自分よりは何らかの点ですぐれた異性に接近したいと思うところに恋愛が生まれます。
恋愛の性質
恋をすれば、その気持は相手に対して全く無条件です。\"これだけ愛したのだから\"といって、お返しをもらいたいと思ったり、\"相手におごらせてばかりいてはすまない。今度はこちらが\"などと、デートの場合のワリカンを考えたりはできません。また、アバタもエクボであり、タデ食う虫も好き好きが、恋愛というものです。また、自分よりすぐれていない異性には、同情は起きても、恋愛感情は起きません。同情から始まった恋愛というものはありえません。自分のほうですばらしいと思う相手が、別の面から自分をすばらしいと感じるとき、はじめて相思相愛というごとになります。そういう性質のものですから、恋愛をする気持は不安定なものです。自分はこんなに愛しているが、相手はどうだろうかという不安心がいっもつきまとうものなのです。恋愛とは、だいたいこんな性質をもっています。
恋愛のできない人
恋愛結婚をすることが理想であるのに、現実にはなかなか恋人を得られない人がたくさんいます。一つには環境などにもよりましょうが、また性格で恋愛ができない人もあります。生まれつきの性格であったり、しつけからくるものであったりします。たとえば、○非社交的な人。他人に警戒心をもつ。
○あまりにも現実的な人。恋愛はロマンチックなもので、時間、お金ともに浪費がつきまとうもの、非現実的な条件が強いものですから。
○甘やかされて育った人間。相手め愛情を求めるだけで相手を愛せないからです。相手からあきられてしまうのです。
○超内攻的性格。同性とさえなかなかつき合えない性格ですから。
○体に欠陥がある人。劣等感から。○異性との接触の少ない環境の人。
○最後の二つの原因は、客観的な原因です。
恋愛は人間を成長させる
ところで、日本では\"恋愛\"というと、何か不道徳なもの、うしろ暗いもののような感じをもたれてきました。皇太子のご結婚についても、「軽井沢で恋愛が始まったという事実はない。世上伝わるようなうわついたご態度は云々」と側近が打ち消しましたが、こういう答弁のしかたの陰にも、恋愛をうわついたものとする古い考えが生きているようです。しかし、間宮武氏は、「恋人たちは、\"あなたを私の手でしあわせにしたい\"\"あなたのためなら\"と言います。そういう気持がわくと同時に相手に接するたびに、相手の言動に敏感で、絶えず自己反省をしています」だから、恋をするということは「人間の心を揺り動かし、魂を清め、人間を宗教家にも詩人にもさせる」というのです。山下肇氏も「恋愛は、友情以上の神聖なものだ。急速に二人を成長させる。若い時代の収穫だと思う。こういう経験を経ない人は、残念だと思う」とさえ言っています。たしかに、恋愛はそういうものなのでしょう。しかしまた、恋愛をしているとき、その人の人間が最もよく現われる、ということばもあります。自分自身の充実がなくて、ほんとうによい恋愛ができるかどうか……こういう反省も起こってくると思います。
恋愛を育てるために
ほんとうの、よい恋愛をするために、私たちには準備が必要です。何がほんとうの恋愛なのかを知るために。と、いうのは、私たちの周囲には、恋愛でないものを恋愛だと思い違えて悩む人がかなりあるからです。たとえば、こんな例があります。会社のある上役に愛された娘がいる。肉体的な関係にまでなる。ところが急に上役はよそよそしくなり、娘は職場にさえいたたまれなくなる。どうして心変りがしたのかわからない。娘は、これを恋愛だと思い違えているのです。女は、自分の上役、店の主人などにはたのもしい気持をもち、そしてほんとうに愛されたと思ってしまいがちです。男はただ一時の出来心だったのに。また、ー主人にひどく扱われる商店の主婦に同情し、ついに主婦との間に子どもまでできてしまった店員の身の上相談がありました。これに江間章子さん(詩人、家裁調停委員)は「一日も早く家を出なさい。主人夫婦とは全く離れて生活なさい。あなたは恋愛をしたのではなく、残念なことに、他人の家庭の事情にまきこまれてしまったのです。もしかしたら、主婦の子どもも、あなたの子どもではないかも知れません」と、答えています。自分は愛していると信じても、これはほんとうの恋愛の姿、また恋愛のあり方ではありません。私たちが恋愛というものを学び、また、ほんとうの恋愛を育てるために、間宮氏は、次のような本を、順を追って読むことをすすめています。
田宮虎彦著「愛情について」
主人公の女性の前に、いろいろな男性が登場し、若い主人公が男性を理解していく過程が描かれます。
福田恒存著「恋愛教室」
恋愛とは、異性とは、こういうものだということがわかります。
福田恒存著「謎の女」
女主人公が、ほんとうの男女の愛情、ほんとうの結婚を感じとろうとして求めていく姿が描かれています。
伊藤整著「女性に関する十二章」戸川行男著「女の学校」
クレール・フランス(井上勇訳)「誰のものでもないパリの初恋」
この中で、クレール・フランスは、若い男女は最後まで結びつけられるべきではない。恋をして、人間的に高めちれていくと、、もう相手からくみとるものがなくなり、ほんとうに恋をまじめに考えるほど、自分の成長とともに、相手が薄れてくる。そのとき女性は、すぐれた英知と感覚で、この恋愛に終止符を打づ役割をしなければならないと、真剣な恋の崩解の矛盾を説いています。
フランゾワーズサガンの諸作品
現代的な恋愛と結婚のあり方ー他のものの犠牲にならない、自分を生かす恋愛をするという思想に基づいています。
クリスチャーン・ロシュフォール(岡田貞吉訳)「戦士の休息」
これらの一連のものを読んでから、最後にD・H・ローレンスのチャタレー夫人の恋人」を読んでごらんなさい。ここには、\"性の慎しみ\"と恋の哲学を教えてくれるものが,あるはずです。
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